| 奈良県立万葉文化館 | |
田所浩 日本画展 ふるさと奈良・大和への想い (2009.5.28〜2009.8. 2) |
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豊かな自然と四季に恵まれた日本では、季節を通じて美しい花が咲き、この四季折々の花は、日本の芸術文化に取り入れられ、華道をはじめ、俳句や和歌における季語など、独自の文化を創りあげた。日本画において花は、季節を表現する役割のみならず、自然への愛情や崇敬の思い、さらには画家の心を映す、日本人独特の感性と精神性が感じられるものである。 今回の展覧会では、四季折々に移ろう豊かな自然のなかで力強くも可憐に咲き誇る多彩な花々の営みを独自の感性で表現しつづけ、当館蔵「万葉日本画」の制作画家のひとりでもある田所浩の画業55年の歩みを紹介している。「大和の豊かな自然と、人々のぬくもりが画業の心の支え」と述懐する田所は、奈良県大宇陀市出身であり、26年間をこの地で過ごした。鎌倉に居を置く現在も、望郷の念から意欲的に大和の地を描いており、日本画壇において奈良の代表格というべき存在である。 田所は平成9年、日展において3度目の審査員を務め、日展評議員に挙げられている。平成14年、第34回日展では「薔薇」を発表。内閣総理大臣賞」に輝いた本作は、今は盛りと咲き誇る輝かしく華やかな画面である。そこには西洋画の手法を習得した田所ならではの、自然美に対する幅の広い見方が表われ、ここに日本画家としての技量を存分に発揮し、日本画の新たな可能性を模索した画家魂を感じさせる秀作となっている。田所の作品は一見して豪華絢爛とした画面であるが、その背後に潜む生と死が綾なす世界をも、独自の美的解釈のもと、見事に表現している。それは田所自身の、順潮とは言いがたい画業への苦闘と、それを乗り越えてこそ生まれる創造への原動力の現れとみることがきよう。 昭和11年生まれの田所は昭和35年、24歳で児玉希望塾に入門、その弟子・奥田元宋の内弟子となる。奈良県立大宇陀高校在学中に、奈良県展への入選を果たすという早熟な出発をみせ、17歳で発表した「嶺」で県展賞を受賞、高校3年間に3回の入選、併せて関西展入賞をも果たす。高校卒業後は、大阪市立大阪美術研究所洋画科に入学、ここでデッサンを4年間学び、この卒業のとし、22歳にして「青島所見」で第1回新日展初入選。第2回新日展「蘇鉄」、第3回新日展「青島の一角」と、颯爽たる画壇デビューを果たす。その後、奥田元宋の膝下で学び、昭和38年「晩照」、39年「紅葉」、40年「椿」と、田所の日展での入選は順調に続く。鎌倉の名月院に取材した「紫陽花の庭」では、初めて特選に輝き、翌42年「椿の庭」を無鑑査出品、本作品も特選候補となる。この年、田所は奈良・朝倉での柿の写生の折、雨に打たれ体調を崩し、この風邪が基で、長い闘病生活に入る。その後、画家としての長い苦闘の日々が始まり、後の四年間、日展不出品が続く。しかし、49年「もみじの庭」、50年「秋庭」、51年「白暮」を続けて発表、52年「カンナ」では、再度の特選獲得という快挙を果たし、見事な復活をみせる。そして平成5年、若い頃から親しみのある故郷の寺である「室生寺」を発表。平成6年には、「室生寺」「三輪山」「山之辺の道」など奈良に取材した作品群による個展「ふるさと大和に想いをこめて」を奈良そごうで開くなど、現在では奈良を代表する日本画家の1人として、着実な画業を示している。 この度の展覧会は、田所の初々しくも爽やかな初期作品から、病床に臥した後の労作、先述にて紹介の内閣総理大臣賞」に輝いた「薔薇」に代表される力作の数々に加え、ふるさと大和に思いを馳せて挑んだ作品までを一堂に展示、日本画家・田所浩の軌跡を振り返るものとなっている。奈良の自然環境によって育まれた豊かな感性を以って、自然の営みの奥深さとそれに対する人間の深い観想を見事に投影した田所浩の日本画の世界。そこに咲き誇る花々と原風景の数々から、自然美の尊さを感じていただければ幸いである。 |
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| (学芸係長 石田 久美子) |
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